【雪かき、してきました。】

雪、長野でも結構降りました。僕の住んでいる木曽路でも結構積もったんですが、雪かきが存外に楽しく、久しぶりに野山で遊ぶという体験ができました。

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宿場noie坂勘の住人 / 写真:たつみかずき
冬とはこうやって過ごすものだなあと改めてしみじみ、東京出の自分は思うわけです。
また雪って結構重かったりするので片付けに人工が要ったり、若くないと腰痛めるな〜(若くても痛める笑)なんて思ったりしていました。

というのも僕の住んでいる贄川という地域も、この量の雪を自分で片付けるということが酷な高齢者の世帯なんかが多かったりするので、

一方でブルドーザーのような大型雪かき機を操るスーパーマンのようなおじさんがいたりしてこういう人がいればどうにかなっているのではないかと思いつつ、

われわれのような若者の存在があるだけでなんかあったときに安心みたいなこともあるのかな〜なんて思ったり。

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贄川で雪かきをする坂勘の住人たち

正直田舎での生活の知恵みたいなのはなにもないし、いざというときに、実際どのくらい力になれるかもわかりませんが、

雪かき自体を楽しめる若者であること。またそんなふうに雪を愉しむ若者が多少地域の高齢の世帯にも新しい風を吹き込んだり、安心感につながっていたり、みたいなところは多文化共生ならぬ多世代共生のいいところだなと。

つまり、もちろん地域差もあるかと思いますが、日本には若い移住者であるというだけでこうして誰も損しない関係性が築ける場所が意外と多いのではないかという、そういう気づきですかね。

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最後は雪捨て場でそり滑りをして遊びました

最近話題になっている『山奥ニート』なんていうのもその結構いい例なんじゃないかと。

【なぜ?"ニート"山奥で暮らす】

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ここで石井さんが言うように、僕のいる地域の人たちも、僕たちがなぜここにいるのかとか、そういうことを詮索してこない、また何かを押し付けてくるわけでもない「本当にすごいことで、みんな出来た人たち」だな、というのは僕の地域の方々への印象でもありますし、

東京出の自分としては、昨今「新しい資本主義」が叫ばれるなかで、コロナ禍で自分が都市の脆弱性であるなと感じた経済的なものでしか自分の生存が担保されていない感覚をおぎなえる、自然の不都合さゆえに生まれるゆるい連帯のようななにかがあるな〜というのを長野移住1年経ってから改めて感じています。

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木曽の山々を眺める
もちろん冬はとんでもなく寒く、布団の中で外行きのジャケットを着て寝て、それでも明け方に顔面が冷えて目が覚めちゃったりするくらい寒いんですが、寒ささえ自分は自然の中で生かされているんだなという感覚、

自分はより本質的には経済活動の中ではなく自然の中の存在なんだと気づかさせてくれます。なので、寒さも含め東京⇨長野の生活、僕はプラマイ現状プラスだな、と感じています。

ということで、田舎も人生の生きる場所として積極的に検討してもいい時代になっているのではないか、と。都会での生活しか現状知らんのだけど現状なーんか微妙、と思っている人には、田舎もさまざまあります、という前提を共有したうえで、田舎にもいろんな可能性があるよ〜ということを伝えたいですね。